§ 17 Der Grundsatz der synthetischen Einheit der Apperzeption ist das oberste Prinzip alles Verstandesgebrauchs
<統覚の綜合的統一の原則(基礎命題)は全ての悟性使用の最上原理である。>
<統覚の綜合的統一の原則(基礎命題)は全ての悟性使用の最上原理である。>
Der oberste Grundsatz der Möglichkeit aller Anschauung in Beziehung auf die Sinnlichkeit war laut der transz. Ästhetik: daß alles Mannigfaltige derselben unter den formalen Bedingungen des Raumes und der Zeit stehe.
<感性との関係における全直観の可能性の最上の原則は、先験的感性学によれば、その全ての多様が時空間の形式的条件の下で立つ(有る)ことであった。>
単数なのでこちらも接続法1式、これからも。感性が時空間の外は認識できないと悟性に語らせる。カントにはintensionalitat指向性フッサールは必要ない。
Der oberste Grundsatz eben derselben in Beziehung auf den Verstand ist: daß alles Mannigfaltige der Anschauung unter Bedingungen der ursprünglich-synthetischen Einheit der Apperzeption stehe*.
<悟性と関係する丁度それ(全直観の可能性の最上の基礎命題)と同等の最上の基礎命題は直観の全ての多様が、統覚の根源的綜合的統一の条件の下でたつであろうことである。間接話法→接続法1式証明されてないから断言していない。>
Unter dem ersteren stehen alle mannigfaltigen Vorstellungen der Anschauung, sofern sie uns gegeben werden, unter dem zweiten sofern sie in einem Bewußtsein müssen verbunden werden können;
<最初のそれ(感性に関する原則)の下では直観の全ての多様な表象が立つ、それが我々に与えられる限りで、2番目のそれ(悟性に関する原則)の下ではsie(表象)が一意識において結ばれることができなければなければならない限りで(全ての多様な表象が立つ)。>
denn ohne das kann nichts dadurch gedacht oder erkannt werden�, weil die gegebenen Vorstellungen den Aktus der Apperzeption, Ich denke, nicht gemein haben�, und dadurch nicht in einem Selbstbewußtsein zusammengefaßt sein würden.
<なぜなら、それ(=意識)なしでは、それ(=表象が与えられること)を通しては何物も考えられず、認識されないから、なぜなら、(それなしではそれによっては)与えられた表象は私は考えるという統覚の作用を共通に持つのではないし、それ(=与えられた表象)を通しては、一つの自己意識において共に総括されないだろうから。>
物が与える原理と意識が与える原理は違う
<感性との関係における全直観の可能性の最上の原則は、先験的感性学によれば、その全ての多様が時空間の形式的条件の下で立つ(有る)ことであった。>
単数なのでこちらも接続法1式、これからも。感性が時空間の外は認識できないと悟性に語らせる。カントにはintensionalitat指向性フッサールは必要ない。
Der oberste Grundsatz eben derselben in Beziehung auf den Verstand ist: daß alles Mannigfaltige der Anschauung unter Bedingungen der ursprünglich-synthetischen Einheit der Apperzeption stehe*.
<悟性と関係する丁度それ(全直観の可能性の最上の基礎命題)と同等の最上の基礎命題は直観の全ての多様が、統覚の根源的綜合的統一の条件の下でたつであろうことである。間接話法→接続法1式証明されてないから断言していない。>
Unter dem ersteren stehen alle mannigfaltigen Vorstellungen der Anschauung, sofern sie uns gegeben werden, unter dem zweiten sofern sie in einem Bewußtsein müssen verbunden werden können;
<最初のそれ(感性に関する原則)の下では直観の全ての多様な表象が立つ、それが我々に与えられる限りで、2番目のそれ(悟性に関する原則)の下ではsie(表象)が一意識において結ばれることができなければなければならない限りで(全ての多様な表象が立つ)。>
denn ohne das kann nichts dadurch gedacht oder erkannt werden�, weil die gegebenen Vorstellungen den Aktus der Apperzeption, Ich denke, nicht gemein haben�, und dadurch nicht in einem Selbstbewußtsein zusammengefaßt sein würden.
<なぜなら、それ(=意識)なしでは、それ(=表象が与えられること)を通しては何物も考えられず、認識されないから、なぜなら、(それなしではそれによっては)与えられた表象は私は考えるという統覚の作用を共通に持つのではないし、それ(=与えられた表象)を通しては、一つの自己意識において共に総括されないだろうから。>
物が与える原理と意識が与える原理は違う
* Der Raum und die Zeit und alle Teile derselben sind Anschauungen, mithin einzelne Vorstellungen mit dem Mannigfaltigen, das sie in sich enthalten (siehe die transz. Ästhetik), mithin nicht bloße Begriffe, durch die eben dasselbe Bewußtsein, als in vielen Vorstellungen, sondern viel Vorstellungen als in einer, und deren Bewußtsein, enthalten, mithin als zusammengesetzt, folglich die Einheit des Bewußtseins, als synthetisch, aber doch ursprünglich angetroffen wird. Diese Einzelnheit derselben ist wichtig in der Anwendung (siehe § 25).
<時空間とその全ての部分は直観であり、従って、sie(時空間とその全部分)を自身に含む多様に関する(先験的感性論を見よ)単一の表象、従って単なる諸概念ではない、それ(諸概念)を通して同じく意識、多くの表象において、それどころか多くの表象その意識に含む、それゆえ共にあった、したがって意識の統一、綜合的なものとして、しかし根源的に見出される。その(意識の統一)のこの単一性は(概念が適応される場合には=)使用(適用)において重要である。>
* Der Raum und die Zeit und alle Teile derselben sind Anschauungen,
空間時間とその全ての部分は直観されたもの(複数)である
mithin einzelne Vorstellungen mit dem Mannigfaltigen, (das sie in sich enthalten (siehe die transz. Ästhetik)),
したがって、表象それ自身のうちに含まれているような多様の各個別の表象である。(多様を含む個別の表象である)(先験的感性論を見よ)
注釈、各個別の表象とは例えばあのペンやこの剣など個別の、直観(時空間)から得た各表象であり、それはすでに多様を含まざるを得ない。
mithin nicht bloße Begriffe, (durch die eben dasselbe Bewußtsein, als in vielen Vorstellungen,(enthaltet) sondern viel Vorstellungen als in einer(Vorstellung), und deren(=Vorstellung) Bewußtsein, enthalten, )
したがって、同一のその意識が多くの諸表象の内に(包括する)単なる諸概念ではない。むしろ諸表象が一つの(表象)や一つの(表象)の意識に含まれているのである。
注釈、意識は今まで経験してきた多くの諸表象を単なる概念(ペン一般)にまとめる働きだけでなく、多様(時空間で経験されるあのペン)を個別の表象(あのペン)としてしかしながらペンの一つであるものとして捕える働きがあるのである。
mithin als zusammengesetzt, folglich die Einheit des Bewußtseins, als synthetisch, aber doch ursprünglich angetroffen wird.
したがって、連関されており、したがって総合するものとしての意識の統一であり、しかしながらそれは根源的に見い出されるのである。
Diese Einzelnheit derselben ist wichtig in der Anwendung (siehe § 25).
その(意識の統一)のこの単一性は(概念が適応される場合には=)使用(適用)において重要である。>
冠詞なし、
多くのペンに対して概念を当てはめて行く。時空間それ自体は
時空間と意識は別のものである。時空間の内、純粋直観は意識なしに唯一のものとしてある。一方で意識はそのほかの時空間および概念に当てはまるものを一つのものとして総括している。
mithin als zusammengesetzt,
folglich die Einheit des Bewußtseins, als synthetisch, aber doch ursprünglich angetroffen wird.
したがって、総括されたものとして、であり、したがって、意識の統一は綜合的に、しかしながら、根源的に見出される。
in et3 mit et3 enthalten sein〜は〜に含有している。
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<時空間とその全ての部分は直観であり、従って、sie(時空間とその全部分)を自身に含む多様に関する(先験的感性論を見よ)単一の表象、従って単なる諸概念ではない、それ(諸概念)を通して同じく意識、多くの表象において、それどころか多くの表象その意識に含む、それゆえ共にあった、したがって意識の統一、綜合的なものとして、しかし根源的に見出される。その(意識の統一)のこの単一性は(概念が適応される場合には=)使用(適用)において重要である。>
* Der Raum und die Zeit und alle Teile derselben sind Anschauungen,
空間時間とその全ての部分は直観されたもの(複数)である
mithin einzelne Vorstellungen mit dem Mannigfaltigen, (das sie in sich enthalten (siehe die transz. Ästhetik)),
したがって、表象それ自身のうちに含まれているような多様の各個別の表象である。(多様を含む個別の表象である)(先験的感性論を見よ)
注釈、各個別の表象とは例えばあのペンやこの剣など個別の、直観(時空間)から得た各表象であり、それはすでに多様を含まざるを得ない。
mithin nicht bloße Begriffe, (durch die eben dasselbe Bewußtsein, als in vielen Vorstellungen,(enthaltet) sondern viel Vorstellungen als in einer(Vorstellung), und deren(=Vorstellung) Bewußtsein, enthalten, )
したがって、同一のその意識が多くの諸表象の内に(包括する)単なる諸概念ではない。むしろ諸表象が一つの(表象)や一つの(表象)の意識に含まれているのである。
注釈、意識は今まで経験してきた多くの諸表象を単なる概念(ペン一般)にまとめる働きだけでなく、多様(時空間で経験されるあのペン)を個別の表象(あのペン)としてしかしながらペンの一つであるものとして捕える働きがあるのである。
mithin als zusammengesetzt, folglich die Einheit des Bewußtseins, als synthetisch, aber doch ursprünglich angetroffen wird.
したがって、連関されており、したがって総合するものとしての意識の統一であり、しかしながらそれは根源的に見い出されるのである。
Diese Einzelnheit derselben ist wichtig in der Anwendung (siehe § 25).
その(意識の統一)のこの単一性は(概念が適応される場合には=)使用(適用)において重要である。>
冠詞なし、
多くのペンに対して概念を当てはめて行く。時空間それ自体は
時空間と意識は別のものである。時空間の内、純粋直観は意識なしに唯一のものとしてある。一方で意識はそのほかの時空間および概念に当てはまるものを一つのものとして総括している。
mithin als zusammengesetzt,
folglich die Einheit des Bewußtseins, als synthetisch, aber doch ursprünglich angetroffen wird.
したがって、総括されたものとして、であり、したがって、意識の統一は綜合的に、しかしながら、根源的に見出される。
in et3 mit et3 enthalten sein〜は〜に含有している。
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前回の研究会で検討した註の訳ですが、以下のように訳し、解釈してみたんで一度ご検討ください。破格講文なので、文法的に正確に訳すのはほとんどできないだろうと思います。従って、訳の中に解釈が入ってしまうのはやむを得ないでしょうけど。
【訳】
空間と時間、そのすべての部分は直観されたものである。それゆえ、多様を含む個々の表象である(先験的感性論参照)。だから、それらは単なる概念ではなく、一つの表象に含まれたものとしての多くの表象なのである。同一の意識は、概念によって多くの表象に含まれているものとして見出されるのだから、多くの表象の意識を含んでいる。従って、同一の意識は、概念によって連関されたものそれゆえ意識の統一として見出されるのである。従って、それは綜合的なものではあるが、それでもなお根源的なものとして見出されるのである。表象の個別性は適用において重要である(25節参照)。
概念によって捉えられる。これも私の表象、これも私の・・意識のほうに統一がある。
空間と時間、そのすべての部分は直観されたものである。それゆえ、多様を含む個々の表象である(先験的感性論参照)。だから、それらは単なる概念ではなく、一つの表象に含まれたものとしての多くの表象なのである。同一の意識は、概念によって多くの表象に含まれているものとして見出されるのだから、多くの表象の意識を含んでいる。従って、同一の意識は、概念によって連関されたものそれゆえ意識の統一として見出されるのである。従って、それは綜合的なものではあるが、それでもなお根源的なものとして見出されるのである。表象の個別性は適用において重要である(25節参照)。
概念によって捉えられる。これも私の表象、これも私の・・意識のほうに統一がある。
【解釈】
空間、時間、それらの諸部分は空間、時間の形式の内部にあるものである。空間、時間中にある事物(例えば、ペン)は多様(色、形等々)を含んでいる。これらは、ひとつの空間、時間中を占める事物である。ところが、概念によって捉えられる個々の事物は、その概念によって意識されたものである(例えば、ペンの概念によって、それに対応する対象(個々の知覚されうるペン)が全て意識の対象となる)。その意味では、特定の知覚(例えばペンの知覚)にはすべて不変の私の意識が伴うことになる(その都度、個々のペンの知覚が現れた時に、個々のペンを意識している)。特定の知覚がまとまりのあるものとして知覚されるのは、それを知覚している意識が統一的なものだからである。従って、個々の表象が個別的であるのは、概念の適用においては重要である。
* Der Raum und die Zeit und alle Teile derselben sind Anschauungen, mithin einzelne Vorstellungen mit dem Mannigfaltigen, das sie in sich enthalten (siehe die transz. Ästhetik), mithin nicht bloße Begriffe, durch die eben dasselbe Bewußtsein, als in vielen Vorstellungen, sondern viel Vorstellungen als in einer,
und deren Bewußtsein, enthalten, mithin als zusammengesetzt, folglich die Einheit des Bewußtseins, als synthetisch, aber doch ursprünglich angetroffen wird. Diese Einzelnheit derselben ist wichtig in der Anwendung (siehe § 25).
註の解説終わり
空間、時間、それらの諸部分は空間、時間の形式の内部にあるものである。空間、時間中にある事物(例えば、ペン)は多様(色、形等々)を含んでいる。これらは、ひとつの空間、時間中を占める事物である。ところが、概念によって捉えられる個々の事物は、その概念によって意識されたものである(例えば、ペンの概念によって、それに対応する対象(個々の知覚されうるペン)が全て意識の対象となる)。その意味では、特定の知覚(例えばペンの知覚)にはすべて不変の私の意識が伴うことになる(その都度、個々のペンの知覚が現れた時に、個々のペンを意識している)。特定の知覚がまとまりのあるものとして知覚されるのは、それを知覚している意識が統一的なものだからである。従って、個々の表象が個別的であるのは、概念の適用においては重要である。
* Der Raum und die Zeit und alle Teile derselben sind Anschauungen, mithin einzelne Vorstellungen mit dem Mannigfaltigen, das sie in sich enthalten (siehe die transz. Ästhetik), mithin nicht bloße Begriffe, durch die eben dasselbe Bewußtsein, als in vielen Vorstellungen, sondern viel Vorstellungen als in einer,
und deren Bewußtsein, enthalten, mithin als zusammengesetzt, folglich die Einheit des Bewußtseins, als synthetisch, aber doch ursprünglich angetroffen wird. Diese Einzelnheit derselben ist wichtig in der Anwendung (siehe § 25).
註の解説終わり
Verstand ist, allgemein zu reden, das Vermögen der Erkenntnisse.
<悟性は一般に言うように認識能力である。>
Diese bestehen in der bestimmten Beziehung gegebener Vorstellungen auf ein Objekt.
<この(認識)は客観と与えられた表象の規定された関係のうちに存する。>
Objekt aber ist das, in dessen Begriff das Mannigfaltige einer gegebenen Anschauung vereinigt ist.
<しかし客観はその概念において与えられた直観の多様が結合しているものである。>
(meine Anmerkung)Z.B. man erkennt dieses Buch und jenes Buch (jedes Buch, also Mannigfaltige) als "das Buch" (Begriffe).
犬を主語としてその述語をつけられるもろもろのものとを関係づける。我々が客観を扶養している
Nun erfordert aber alle Vereinigung der Vorstellungen Einheit des Bewußtseins in der Synthesis derselben.
<そしてしかし表象の全ての一致はその(表象の)綜合において意識の統一を必要とする。>
表象をかき集めて一つにとり集める
Folglich ist die Einheit des Bewußtseins dasjenige, (was allein die Beziehung der Vorstellungen auf einen Gegenstand, mithin ihre objektive Gültigkeit, folglich, daß sie Erkenntnisse werden, ausmacht�,) und worauf folglich selbst die Möglichkeit des Verstandes beruht�.
<したがって意識の統一は、[或る対象(=客観)と表象の関係のみ(を構成するもの)][したがってその客観的妥当性を構成するもの]、[したがってそれら(諸表象)が認識となることを、形成するところのもの]、そして、そこにそれ自身悟性そのものの可能性も基づいているのであるのもの、である。>
erfordern et4=brauchen et4 voraus
<悟性は一般に言うように認識能力である。>
Diese bestehen in der bestimmten Beziehung gegebener Vorstellungen auf ein Objekt.
<この(認識)は客観と与えられた表象の規定された関係のうちに存する。>
Objekt aber ist das, in dessen Begriff das Mannigfaltige einer gegebenen Anschauung vereinigt ist.
<しかし客観はその概念において与えられた直観の多様が結合しているものである。>
(meine Anmerkung)Z.B. man erkennt dieses Buch und jenes Buch (jedes Buch, also Mannigfaltige) als "das Buch" (Begriffe).
犬を主語としてその述語をつけられるもろもろのものとを関係づける。我々が客観を扶養している
Nun erfordert aber alle Vereinigung der Vorstellungen Einheit des Bewußtseins in der Synthesis derselben.
<そしてしかし表象の全ての一致はその(表象の)綜合において意識の統一を必要とする。>
表象をかき集めて一つにとり集める
Folglich ist die Einheit des Bewußtseins dasjenige, (was allein die Beziehung der Vorstellungen auf einen Gegenstand, mithin ihre objektive Gültigkeit, folglich, daß sie Erkenntnisse werden, ausmacht�,) und worauf folglich selbst die Möglichkeit des Verstandes beruht�.
<したがって意識の統一は、[或る対象(=客観)と表象の関係のみ(を構成するもの)][したがってその客観的妥当性を構成するもの]、[したがってそれら(諸表象)が認識となることを、形成するところのもの]、そして、そこにそれ自身悟性そのものの可能性も基づいているのであるのもの、である。>
erfordern et4=brauchen et4 voraus
Das erste reine Verstandeserkenntnis also, worauf sein ganzer übriger Gebrauch sich gründet, welches auch zugleich von allen Bedingungen der sinnlichen Anschauung ganz unabhängig ist, ist nun der Grundsatz der ursprünglichen synthetischen Einheit der Apperzeption.
<第一の純粋な悟性認識はしたがって、{そこにおいて全てのその他の(悟性)使用(経験的であろうと純粋であろうと)が根拠づけられる、その(悟性認識)はまた同時に感性的直観の全ての条件に全く独立で、}は統覚の根源的綜合的統一の原則である。>
直観されたものも最終的には統覚の統一にしたがっていると言える。
So ist die bloße Form der äußeren sinnlichen Anschauung, der Raum, noch gar keine Erkenntnis; er gibt nur das Mannigfaltige der Anschauung a priori zu einem möglichen Erkenntnis.
<それで外的感性的直観の純粋形式、したがって空間はまだ全く認識ではない、それ(空間)はアプリオリな直観の多様のみを或る可能な認識に与える。>
Um aber irgend etwas im Raume zu erkennen, z.B. eine Linie, muß ich sie ziehen, und also eine bestimmte Verbindung des gegebenen Mannigfaltigen synthetisch zustande, bringen, so, daß die Einheit dieser Handlung zugleich die Einheit des Bewußtseins (im Begriffe einer Linie) ist, und dadurch allererst ein Objekt (ein bestimmter Raum) erkannt wird.
<しかし空間における何かを認識するために、例えば一線、私がそれ(一線)を引かなければならない、そしてそのように与えられた多様の一つの規定された結合は綜合的に、この作業の統一が同時に意識の統一(一線の概念において)であるように成立させる、そして、それを通してまず最初に一客観(一つの規定された空間)が認識される。>
線を引くことによって意識の統一がなければ、線という規定された空間を認識できない。
Die synthetische Einheit des Bewußtseins ist also eine objektive Bedingung aller Erkenntnis, nicht deren ich bloß selbst bedarf, um ein Objekt zu erkennen, sondern unter der jede Anschauung stehen muß, um für mich Objekt zu werden, weil auf andere Art, und ohne diese Synthesis, das Mannigfaltige sich nicht in einem Bewußtsein vereinigen würde.
<意識の綜合的統一はしたがって全ての認識の一客観的条件であり、それ(客観的条件)を私は(客観を認識するために)単に自身に必要とするのではなく、わたしにとっての客観であるために(世界を私のものとするために)、客観的条件の下にすべての直観が有らなければならない、なぜなら別の方法において、そしてこの綜合なしに、多様は一意識において結合されないだろうから。>
例えば空間そのもの
カントの考えている直観とは直観されうるもの
Dieser letztere Satz ist, wie gesagt, selbst analytisch, ob er zwar die synthetische Einheit zur Bedingung alles Denkens macht, denn er sagt nichts weiter, als, daß alle meine Vorstellungen in irgendeiner gegebenen Anschauung unter der Bedingung stehen müssen, unter der ich sie allein als meine Vorstellungen zu dem identischen Selbst rechnen, und also, (ich sie)als in einer Apperzeption synthetisch verbunden durch den Allgemeinen Ausdruck Ich denke zusammenfassen kann.
<この後者の命題(根源的な)は(すでに)言ったようにそれ自身分析的であり、例えその(命題)が綜合的統一を全ての思考の条件とみなすとしても、なぜなら、その(命題)は私の諸表象が何か与えられた直観において(次のような)条件のもとに立ねばならないということ以上には何も述べていない、その(条件の)もとで私はそれ(与えられた直観)を同一的な自己への私の表象と数えることができるのであり、そしてしたがって、一統覚の内で総合的に私は考えるという一般的な表現によって結合しうるのである。>
私は与えられた直観を一つの統覚において総合的に統一されたものとして一般的な表現によって総括しうるのである。
全ての記憶の背後には思考が常に伴っている。
身体状態も
<この後者の命題(根源的な)は(すでに)言ったようにそれ自身分析的であり、例えその(命題)が綜合的統一を全ての思考の条件とみなすとしても、なぜなら、その(命題)は私の諸表象が何か与えられた直観において(次のような)条件のもとに立ねばならないということ以上には何も述べていない、その(条件の)もとで私はそれ(与えられた直観)を同一的な自己への私の表象と数えることができるのであり、そしてしたがって、一統覚の内で総合的に私は考えるという一般的な表現によって結合しうるのである。>
私は与えられた直観を一つの統覚において総合的に統一されたものとして一般的な表現によって総括しうるのである。
全ての記憶の背後には思考が常に伴っている。
身体状態も
Aber dieser Grundsatz ist doch nicht ein Prinzip für jeden überhaupt möglichen Verstand, sondern nur für den, durch dessen reine Apperzeption in der Vorstellung: Ich bin, noch gar nichts Mannigfaltiges gegeben ist.
しかしこの原則は各々の可能な悟性一般とっての一原理ではなく、「我在り」という表象の内のそれの純粋統覚をとおしてもなお全く多様の何物も与えられていないところのもの(主体)にとっての一原理である。←B135
この悟性一般とは人間を越えるもの(神)をも含んでいる。神も論理的に考えるが神は考えることは創造する。
Derjenige Verstand, durch dessen Selbstbewußtsein zugleich das Mannigfaltige der Anschauung gegeben würde,
(悟性の)自己意識によって同時に直観の多様が与えられているだろう悟性
ein Verstand, durch dessen Vorstellung zugleich die Objekte dieser Vorstellung existierten,
つまり一つの、その表象によって同時にこの表象の客観が現実存在しているような悟性が存在するとすれば、それは
論理的に可能かつ知覚されうるものは現実存在するexsistieren
純粋図形は存在する。主語と述語を結び付けることと、主語が知覚されうるものとしてある。存在していることsein
Mensch und Nicht-Mensch(Gott)
würde einen besonderen Aktus der Synthesis der Mannigfaltigen zu der Einheit des Bewußtseins nicht bedürfen, deren der menschliche Verstand, der bloß denkt, nicht anschaut, bedarf.
は[直観せずに単に考えるその人間の悟性が必要としている]意識の統一へと多様を綜合するの一つの特殊な作用を必要としていないだろう。←論文に使える文章、重要
Aber für den menschlichen Verstand ist er doch unvermeidlich der erste Grundsatz, so, daß er sich sogar von einem anderen möglichen Verstande, entweder einem solchen, der selbst anschaute, oder, wenngleich eine sinnliche Anschauung, aber doch von anderer Art, als die im Raume und der Zeit, zum Grunde liegend besäße, sich nicht den mindesten Begriff machen kann.
しかし、人間の悟性にとっては、それ(Grundsatz)が不可避な第一原則である、
だから、それ(人間悟性)がそれどころか一つの別の可能な悟性、すなわち自己直観するそのような一つの(悟性)あるいは(彼が)時間と空間以外の別の方法を根本的に持っている感性的直観であっても、それらを理解することができない。
entwedef oder
von anderen Verstande von anderen Art
von Begriff machen理解する
mindestenまったく〜できない
しかしこの原則は各々の可能な悟性一般とっての一原理ではなく、「我在り」という表象の内のそれの純粋統覚をとおしてもなお全く多様の何物も与えられていないところのもの(主体)にとっての一原理である。←B135
この悟性一般とは人間を越えるもの(神)をも含んでいる。神も論理的に考えるが神は考えることは創造する。
Derjenige Verstand, durch dessen Selbstbewußtsein zugleich das Mannigfaltige der Anschauung gegeben würde,
(悟性の)自己意識によって同時に直観の多様が与えられているだろう悟性
ein Verstand, durch dessen Vorstellung zugleich die Objekte dieser Vorstellung existierten,
つまり一つの、その表象によって同時にこの表象の客観が現実存在しているような悟性が存在するとすれば、それは
論理的に可能かつ知覚されうるものは現実存在するexsistieren
純粋図形は存在する。主語と述語を結び付けることと、主語が知覚されうるものとしてある。存在していることsein
Mensch und Nicht-Mensch(Gott)
würde einen besonderen Aktus der Synthesis der Mannigfaltigen zu der Einheit des Bewußtseins nicht bedürfen, deren der menschliche Verstand, der bloß denkt, nicht anschaut, bedarf.
は[直観せずに単に考えるその人間の悟性が必要としている]意識の統一へと多様を綜合するの一つの特殊な作用を必要としていないだろう。←論文に使える文章、重要
Aber für den menschlichen Verstand ist er doch unvermeidlich der erste Grundsatz, so, daß er sich sogar von einem anderen möglichen Verstande, entweder einem solchen, der selbst anschaute, oder, wenngleich eine sinnliche Anschauung, aber doch von anderer Art, als die im Raume und der Zeit, zum Grunde liegend besäße, sich nicht den mindesten Begriff machen kann.
しかし、人間の悟性にとっては、それ(Grundsatz)が不可避な第一原則である、
だから、それ(人間悟性)がそれどころか一つの別の可能な悟性、すなわち自己直観するそのような一つの(悟性)あるいは(彼が)時間と空間以外の別の方法を根本的に持っている感性的直観であっても、それらを理解することができない。
entwedef oder
von anderen Verstande von anderen Art
von Begriff machen理解する
mindestenまったく〜できない
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